なぜ排除の論理を選んだのか? ~長期政権が崩れるとき~Part4

「なぜ排除の論理を持ち出すのか」


ゲーム市場における覇権が長期になると、任天堂時代であってもSCE時代であっても様々な綻びが出始めるようになる。端的にそれを読み取れることができるのは市場規模の変動ではないだろうか。問題があれば市場規模は落ち込むであろうし、上手くいっていれば市場規模は成長を続ける可能性が高いからだ。

任天堂時代における綻びは1994年頃であろう。1990年にスーパーファミコンが登場して以来、ゲーム市場は右肩上がりの成長を続けていたが1994年のゲームソフト出荷額は突如として前年比約16%減の3035億円と落ち込み、91年の水準である3123億円をさらに下回る結果となった(注18)。 

一方、SCE時代の場合は2004年度前後に最も顕著に現れた。PS2が登場した2000年度のゲームソフト市場は3678億円であったが、その年から市場は毎年のように縮小し2004年度には3225億円にまで落ち込んだ。しかしそれと反比例するかのようにPS2対応ソフトの販売本数は2000年度以降、年々増加し続けており、市場が落ち込んだはずの2004年度には過去最多の約3202万本を販売していたのだ(注19)。結果としてPS2は市場全体を大きく成長させる牽引役にはなりきれなかったと言えるだろう。

市場規模が突如として3年前の水準を割り込んだり、販売本数を大きく伸ばしながらもそれが市場全体の拡大に結びつかないのは、覇権を握るハードメーカーとしてはかなり深刻な事態であると言える。もちろん市場の縮小に対して両社は手をこまねいていたわけではない。だからこそ、すべてのゲームユーザーのために次世代ゲーム機であるN64やPS3を開発したのだ。しかし、時のユーザーが本当に求めていたものを、それらのゲーム機は提供することができなかった。

当時の任天堂や今のSCEに求められていたのは、『枯れた技術』(注20)によって開発されていたゲーム機向けに高額なゲームソフトを販売していた任天堂時代を、高性能かつ安価なゲームソフトを提供することで突き崩したSCEのような賢さであり、画質の良さが必要以上に強調されるゲームに対してユーザーが飽き始めていたSCE時代に、それまでのゲームとは全く異なる新しいゲームジャンルを作り上げた任天堂のような斬新さであったはずだ。

では、なぜ彼らのニーズを正確に把握する事ができなかったのか。理由の一つとして考えられるのが、両社が長年に渡って培ってきた「成功体験」の存在ではないか。

任天堂とSCEがゲーム市場において大成功を収めていたのは、両社の戦略や路線がユーザーに受け入れられてきたからだ。ならば、それを変えることなく、一層発展させる事こそがユーザーを満足させる近道だと考えるのはごく自然であろう。

しかしながら、栄枯盛衰は世の常である。流行り廃りが目まぐるしく移り変わるゲームの世界ではそれがより顕著に表れると言っても過言ではない。それだけにハードメーカーの成功体験ばかりが長く通用するとは考えにくい。ユーザーは常に新しいものを求めている。彼らに飽きられないためにはハードメーカーは何時であっても、これまでの方針や戦略そのものを大きく変革させる柔軟さが求められている。

それなのに、かつての任天堂と今のSCEは微妙に変化しつつあったユーザーのニーズを誤解し、今までの戦略に拘り過ぎたばかりか必要以上に洗練させてしまい、ついには「排除の論理」を生み出してしまった。N64の失敗やPS3の苦戦の原因は、この点にあると言えるのではないか。

『今言われているPS3の課題は時間が経てば解決されるものばかり。だから全然心配してないですよ』(注21)。SCEの久多良木氏はこう述べるが、「排除の論理」は時間の経過と共に消え去る性質のものではない。何らかの対策をしなければ快走を続けるWiiとの差は日を追うごと広がっていく。まだ可能性が残されている今だからこそ、抜本的な対策が求められているはずなのだが、SCEが考えている対策とは『宣伝やイベント、店頭販促などのマーケティング策を共同展開する』(注22)程度のものだという。これでは抜本的な対策とは言い難い。

「歴史は繰り返す」という言葉もある。かつて任天堂が味わった辛酸を、今度はSCEが嘗める番なのかもしれない。


注18…参考文献 『新時代ゲームビジネス』 編コンピュータ局開発 日経BP社 1995 P164
注19…参考文献 『電撃王 2007 WINTER 1月号増刊』内 「特別付録・電撃ゲーム白書 P4」2007 メディアワークス
注20…『キング・オブ・ゲームの未来戦』著山名一郎 日本実業出版社 1994 P71
注21…『週刊東洋経済 2007.5.19』 P111 東洋経済新報社
注22…2007年6月21日 日本経済新聞

(菅井)