なぜ排除の論理を選んだのか? ~長期政権が崩れるとき~Part2

「NINTENDO64とPS3」

家庭用ゲーム機市場で一度確立された覇権は、他のハードメーカーが並大抵の努力をしたとしても、そう簡単に奪うことはできない。だが、それは未来永劫に渡って続く訳でもなく、ユーザーやソフトメーカーからの支持を集めることが出来れば「政権交代」は実現可能だ。事実、ファミリーコンピュータが登場して以来、家庭用ゲーム機市場において三世代以上の長期に渡って同一のハードメーカーが覇権を維持し続けた例はない。

かつてゲーム市場が任天堂の独壇場であった頃、三世代目のゲーム機として「NINTENDO64」(N64)が送り出されたが、競合するプレイステーション(PS)やセガ・サターンなどとの戦いにはかなりの苦戦を強いられた。結果としてN64は敗れ、代わってSCEのPSがゲーム市場を勝ち抜いた。

しかし、今度はそのSCEが同じく三世代目のゲーム機としてPS3を市場に投入している。任天堂がN64では成し得なかった偉業に挑戦しているPS3であるが、その滑り出しは順風満帆とは言い難い。

こうしてみるとN64とPS3には幾つかの類似点を見いだす事ができる。どちらも三世代目である点や、発売後、同じように苦戦を強いられている点などは似通っていると言えるだろう。だが、ここで重要なのはそうした見かけ上の共通点ではない。世代交代に失敗したN64と、これから世代交代を成功させなければならないPS3に込められた「ハードメーカーの意図」が非常に近しいことが問題なのだ。

両ゲーム機に込められたハードメーカーの意図とは簡単に言えば「排除の論理」である。特にN64の場合は強烈だったと言えるだろう。任天堂前社長であった山内氏はかねてより『ダメソフトばかり作ったら結果的にマイナスになる』(注5)と述べ、ゲームソフトの質的向上を訴えてきたが二世代目のスーパーファミコン(SFC)時代であっても「ダメソフト」は無くならず、品質の良いゲームソフトだけを揃えることができずにいた。

その失敗を繰り返さないためにN64の発売を契機として、質の悪いソフトの一掃に乗り出した。任天堂は、SFCの『タイトル数が増え過ぎた』(注6)ために駄作も多く開発されたのだから、販売タイトルを少なく制限すれば、ソフトメーカーは質の良いゲームだけを作るだろうと考え、ゲームソフトのタイトルを少なくする方針を打ち出しのだ。

さらにソフトタイトル数だけには留まらずソフトメーカーそのものの排除も行った。N64発売前、当時の米国任天堂社長であった荒川氏は『今後もそれほどソフト会社を増やさない』(注7)と明言しゲームソフトのみならずゲームソフト開発会社すらも選別することで少数精鋭主義を徹底させたのだ。

そのような方針に対し任天堂の中からは『必要以上に"敷居"を高くし過ぎた。もっとソフト会社を支援しないと、N64が放り出されてしまう』(注8)との声もあったが、その不安はやがて現実のものとなり、任天堂はN64の失敗によって維持し続けてきた覇権を失うことになってしまった。

では翻ってPS3の場合はどうか。当然のことながら、N64のように排除の論理を振りかざすような行動は一切していない。ソフトメーカーがゲームソフトのタイトル数を増やしても、当時の任天堂と同じようにSCEがそれを問題視することはまずあり得ないだろう。

しかしながら、任天堂とSCEの方針が表面上異なっていたとしても、それを以てN64とPS3は明らかに異なる、と結論付けるのは早計だ。任天堂がN64に持ち込んだ排除の論理は明らかに「意識的」になされたものだが、PS3の場合のそれは「無意識」に持ち込まれている。だからこそ、それが大きな問題なのだ。

注5…1991年12月17日 日経流通新聞
注6…1994年8月14日 日経産業新聞
注7…1995年12月21日 日経産業新聞
注8…1997年6月27日 朝日新聞

(菅井)